2020年08月11日

凪の心


 昨日の薄暮は久しぶりにN條さんが復帰。我々に隠れて(?)レッスンを受けに行ってたとのことで、マン振りN條からフェアウェイをキープし続けるニューN條に変身を遂げていた。コロナ自粛などを逆手に取る華麗な変身、素晴らしい。



 さて一方の私も齢57歳となり、スライサーからフッカーへと加齢なる変身を遂げたわけだが、未だに右を向いて立つのは違和感がある。そういう違和感と戦いながらティショットを打つわけだが、口で言うのは簡単でもいざ実際に球を打つときには、

「ほんとにフックするだろうか」

「真っすぐいけば右ラフだけど、そこから『ちょっとでも』右へ曲がればOBだ」

「だからしっかり横振りを意識し手首をフルコックして打たないといけない」

「でも、上半身ばかり気にしてたらチーピンが出る」

「だから体もしっかり使わないと」

「でも体を使いすぎたりタイミングが早いとプッシュやスライスが出るし」


・・・と思考がまとまらず堂々巡り、つまり迷いながら、あるいはおっかなびっくり、さらに別の言い方をすると

自分のスイングに不安感を抱きながらショット(1)
 
しちゃうんだよねー、とこれは金曜日も書いた、アイアンショットと同じ思考パターン。



 しかし、いざショットをするときはまた別な心の動きがある。それは薄っぺらい自信。これが事をややこしくするのだ。フックを打つようになって飛距離が伸びたというのはちょっと前の日記で書いたが、それによって、

「俺は飛ばし屋だ」

「またここでドライバーの最長不倒距離を更新してやる」

「皆をびっくりさせてやる」

「俺ってスゲーぜ」


というふうに、

リキまなくてもいいのにリキみまくってマン振りしてしまう(2)。



 さて、この1と2は心のポジションでいうと真逆である。そんなポジティブさとネガティブさを両方持ったままスイングするとどうなるか。そりゃあもう、体は「ネガティブなhiro」と「ポジティブなhiro」のどっちの言うことを聞けばいいかわかんなくなるんだよねー。

 この「2つの心」問題、結局は心技体の「心」へ行き着くんだろうけど、心を鍛えるためにはいろいろな方法がある。心が揺れても動じないぐらい技術を磨くというのも1つ。心が揺れないよう自信がつくまで練習するというのも1つ。不安を感じるショットをしない、クラブを使わない、距離を残さないようにするというのも1つ。

 でもね、齢57にもなるともう時間がないんだよ。それに、体がボロボロになってきてて練習しても消耗したり故障するリスクが上がるんだよ。練習できるというのも一種の才能だからね。


 よって、アドレスに入ったら深呼吸し、すべてを忘れ、心を凪(なぎ)のように穏やかにし、そして振る。強くもなく、かと言って弱くもなく、体に任せて振る。体を信じる。それしかない。






 って思ってもできた試しがないんだけどね。
posted by hiro at 12:36| Comment(0) | 雑文